【特別対談】料理の本を読むということ、作るということ 高橋みどり×平松洋子
女優・沢村貞子は57歳からの27年間、大学ノートに日々の献立を欠かさず記録していました。その一部は1988年に『わたしの献立日記』として出版されましたが、この本を長年愛読し、最近まったく別の機会に、そのすべてを手元に借り受け、読み込んだ人がふたりいます。ひとりは雑誌や本を舞台に食卓を演出してきた高橋みどりさん、もうひとりは、食文化をテーマに取材・執筆をしてきた平松洋子さん。30年にわたりさまざまな食卓に向き合ってきたおふたりに、『わたしの献立日記』について、また、ご自身の仕事について、お話しいただきました。
高橋 今年、私は、沢村貞子さんの「献立日記」を再現するビジュアル本『沢村貞子の献立日記』のスタイリングの仕事をいただいて、平松さんは去年出された『野蛮な読書』のなかで沢村貞子論を書いていらして。
平松 まったく偶然でしたね。
高橋 平松さんとはここ20数年、プライベートでも仕事でも一緒に歩んできたようなところがあるから、同時期に平松さんの沢村貞子論が読めたのは本当に嬉しかった。そもそも平松さんが料理の世界にはまるようになったのはなぜなんでしたっけ?
平松 もともとは大学で社会調査の方法論について勉強していて。大学4年のときものを書く仕事をしようと決め、食べものを土台にして社会を考察したいと思ったんです。食べものって、人があって家庭があって郷土があって国があって、というふうに、その向こうにあらゆるレベルの文化が重層的に入っているでしょう。最初は農文教から出ている「聞き書」シリーズ(日本の食生活全集)と、週刊朝日百科「世界の食べもの」シリーズなどが私のバイブルでした。
高橋 このふたつのシリーズは、料理の世界ではほんとに支持率が高いです。
平松 私はあれを自分なりにやるんだと思って、それで取り組んだのが「とっておき」シリーズの3冊(『とっておきのタイ料理』『とっておきの韓国・朝鮮料理』『とっておきのベトナム家庭料理』)でした。誰かひとりのつてで取材先を選ぶと偏りが出ることは、社会調査を学んでいてよくわかっていたので、取材先探しから自分でやりました。不見転(みずてん)で市場に行って、まず人の買いものを観察するんです。で、ピンときた人をつかまえて、取材を頼みこむ。そんなふうにしてタイ、韓国、ベトナムの全土を歩きながら何度も通って取材を続けました。とにかく器の選び方から盛りつけ方、台所の様子など、ひとつも見逃さないつもりで。もうね、そこから見えるものの多さに圧倒されたし、すごく刺激的だった。
高橋 あのシリーズ、私もわくわくしながら読んだのを覚えています。私はスタイリストとして料理に関わってきたので、地域というより特定の個人とのお付き合いということになるんですが、これまでたくさんの料理家の方たちとお仕事させていただいて、なにが楽しいって、やっぱり料理の向こうに料理人その人が見えることなんですよね。おいしいものを作る人はおいしいものを作るだけの「なにか」が絶対にある。どうやったら写真の中にその人らしさを出せるか、それを考えるのがスタイリングという仕事ですが、ただ献立が書かれただけの沢村貞子さんの日記だって、じっと読んでいると、この料理はこういう器に盛っていただろうなとか、テーブルにはこざっぱりした布を敷いただろうなとか、見えてくるものってすごくあるんです。
平松 スタイリストというのは一言でいえば表現者ですよね。対象について考え、理解し、解釈した結果、ある客観性なり作品性なりがそこに生まれる。ただ、さまざまな解釈を提示できる文章と違って、スタイリングはテーブルから器、カトラリーに至るまでひとつひとつ限定して視覚化するわけですから、誤魔化しのきかない仕事です。
高橋 今回の沢村さんの仕事も、ドキュメンタリーではないところで、どうやって沢村さんらしさを出していくかということをいろいろ考えました。もちろんそれは私の理解する沢村貞子像であって、実際は違ったかもしれない。ただ、本当に相手のことを考えて作られた料理だったということは、形にしてみてよくわかりました。一方、「献立日記」全部を読み込む中で、家庭的な雰囲気というのがあまり感じられないのが不思議だなとも思っていたんです。内容は家庭のお総菜なんだけれど、ぴしっとしすぎているというか、狂いがなさすぎるというか。そのわけが平松さんの沢村貞子論を読んで、すごく腑に落ちました。
平松 沢村さんの場合、料理より以前に、夫婦の生活という守りたいもの、守らなきゃいけないものが先にあって、料理がそれを支えていた、というのが私の理解でした。ご存じのように沢村さんとご主人の大橋さんは家庭をなげうって一緒になったわけですが、この関係が崩れたら自分たちを受け容れてくれるところはどこにもないと覚悟していらしたと思うんです。夫婦関係もふくめてつねに崖っぷちという緊張感が「献立日記」には表れている。
高橋 単なる食べ物の記録なのに、そこにその人の人生がぜんぶある。
平松 いい料理の本って、人生を語らずしてちゃんと人生が語られているものですよね。声高に自分の考え方とか、主義主張を言わずとも、色濃くその人が表れている。
高橋 今回の沢村さんの本では、私は沢村さんのシビアなところまでは出さなくていいかなと思って、最初に『わたしの献立日記』を読んだときの印象のままでいくことにしたんですけれど、そのときどきによって読み方が変わってくるのっておもしろいですよね。
平松 いろいろな読み方、使い方ができるのも、料理の本のいいところだと思います。そこにその人の人生を読みとることもできるけれど、もっと気軽な台所のヒント集とかレシピ集としても読める。料理の本って、日常の緊張をふっと解いてくれて、自分に寄り添うような、そんなくり返し読めるものがひとり3冊あればいいんじゃないかな。料理の本には人がそのまま出るぶん、相性がものすごくあるので、自分にとって大切な料理の本ってなんだろうと考えることは、自分ってなんだろうと考えることとちょっと似ているような気がします。
いま、今回の沢村さんのご本について、シビアなところまでは出さなくていいと思ったっておっしゃいましたけれど、同感ですね。料理をスタイリングするということは、本の実用性も満たしつつ、さらにその人らしさを加味するということですから、解釈の出し過ぎは本末転倒を招く。それよりも今度の『沢村貞子の献立日記』を見ていると、器にしても料理にしても、関わったみなさんが、沢村さんだったらどうするだろうって、沢村さんに近づこうとする気配をすごく感じます。以前、沢村さんのマネージャーを長年つとめていた方がしきりとおっしゃっていたのは、沢村さん、ぜんぜん外食をしない人だったのにものすごく盛りつけが美しいのよ、驚くほどでしたって。その佇まいが『沢村貞子の献立日記』の写真にはちゃんとある。
高橋 そう言ってもらえると嬉しいです。最近、自分のスタイリングが、意図するところとは別のかたちで読者に伝わっていたんじゃないかと思うことがよくあって、つまり、こういう器がほしい、こんなお鍋がほしいという情報だけが強烈な印象を残してしまったんじゃないかという反省がずっとあったんです。
平松 それは料理写真の宿命みたいなものですよね。明治に出た村井弦斎の『食道楽』もそうですが、料理にまつわる本って時代の要請をダイレクトに反映するものだと思うんです。1980年代にはアメリカでマーサ・スチュワートが料理と暮らしが密接に結びついていることを世の女性たちに知らしめ、趣味や嗜好に市民権を与えた。日本でも?90年代頃から、どっと料理関連の本が出るようになりましたよね。とくに写真には圧倒的な情報力と訴求力がありますから、それが予期せぬところで影響力をもってしまうのは、ある意味しかたのないことかもしれません。
高橋 でも、それだけしかないような安易な料理本もたくさん出ましたよね。自分はそうありたくないと思いつつも、本当に自分が作ったこの本で料理をしてくれるんだろうかという疑問が心の隅に湧いてくることもあって、それで、明治から1980年くらいまでの古い料理本をよく見るようになったんです。それまではこんな白黒写真で料理の何が伝わるの? って思っていたんだけれど、読んでみると、いやいやこれは伝わらないどころの話じゃないよと。特別凝ったことをしているわけでもないし、親切なわけでもないんだけれど、文章が魅力的だったり、説明がわかりやすかったりして、なにより作ってみたいと思わせるなにかがある。それが今度出る『私の好きな料理の本』につながるわけですけれど。
平松 一足先に読ませていただきましたが、厳しい問いかけをしているな、と思いました。好きだといっているその本が、自分の仕事の正反対で文字だけだったりするわけでしょう。それはつまり、自分の仕事って何? という問いかけですよね。この本の中で高橋さんはスタイリングという仕事の内容や範疇をずっと考えている。極端な話、自分の仕事っていらないんじゃないの、と考えを突き詰めることでもあるなと。
高橋 ははは。でも、事実スタイリストが要らない本もあるんですよね。そもそも写真の必要性がないものもあるし、また、自分がしゃしゃり出て行くまでもなく、スタイルの確立した料理家さんもいますし。そういうときは、お話をいただいても「いや、私はいらないでしょう」とちゃんと言います。
平松 高橋さんは、ご自身がスタイリストとして入ることで、どんな効果を生むと?
高橋 そうですね、1枚1枚の写真がどうというよりも、1冊のビジュアルの流れがよくなればいいな、とは思っています。自分がページ全体を見渡す目になるというか。あとは環境作りですね。つまり自分が用意した器に料理家が触発されて美味しい料理が生まれ、それに触発されたカメラマンが勢いのある写真を撮る、そういういい連鎖を現場に作れたらなと。器は単なるツールであって、たとえばカメラマンが目の前の一皿にぐっと惹かれて、用意した器も布もぜんぜん写っていないなんてこともあります。でもそれでまったくかまわない。現実に写真に写っているかいないかは、じつはスタイリストの仕事の本質的なことではないんですよね。
平松 たしかにそう。30年近くスタイリストという仕事に取り組んできたからこその実感ですね。
高橋 まあ、自分の仕事を指してそこに写っている器や布それ自体に意味はないのだとか、巷にあふれる料理本を見て、料理の本を甘く見るなよとか、ほんとはそんな説教臭いこと言わなくてもいいんだろうけれど、いままでやりっ放し、言いっぱなしだったことに、そろそろ責任をもって応えていくときが来たんじゃないかなという気もしていて。
平松 お互い残された時間を意識するようなしないような、微妙な年齢になりましたからね。これはやっておかなきゃと本能が知らせるものもあるというか。でも、私、やりたいことの本質は大学生の頃から変わってないんですよ。ひとつの食卓からあまりにもたくさんのことが見えるということへの興味は、まったく変わっていないんです。
高橋 私もやってもやってもやり尽くすことがないなというのが最近の実感。いま、以前作った本をまた同じスタッフで作りなおそうという企画がいくつかあって、それがすごく嬉しいんです。ともに成長できる仲間がいるというのは幸せなことですよね。平松さんともこれからも一緒に歩めるように、恥ずかしくない仕事をしたいと思います。
高橋 今年、私は、沢村貞子さんの「献立日記」を再現するビジュアル本『沢村貞子の献立日記』のスタイリングの仕事をいただいて、平松さんは去年出された『野蛮な読書』のなかで沢村貞子論を書いていらして。
平松 まったく偶然でしたね。
高橋 平松さんとはここ20数年、プライベートでも仕事でも一緒に歩んできたようなところがあるから、同時期に平松さんの沢村貞子論が読めたのは本当に嬉しかった。そもそも平松さんが料理の世界にはまるようになったのはなぜなんでしたっけ?
平松 もともとは大学で社会調査の方法論について勉強していて。大学4年のときものを書く仕事をしようと決め、食べものを土台にして社会を考察したいと思ったんです。食べものって、人があって家庭があって郷土があって国があって、というふうに、その向こうにあらゆるレベルの文化が重層的に入っているでしょう。最初は農文教から出ている「聞き書」シリーズ(日本の食生活全集)と、週刊朝日百科「世界の食べもの」シリーズなどが私のバイブルでした。
高橋 このふたつのシリーズは、料理の世界ではほんとに支持率が高いです。
平松 私はあれを自分なりにやるんだと思って、それで取り組んだのが「とっておき」シリーズの3冊(『とっておきのタイ料理』『とっておきの韓国・朝鮮料理』『とっておきのベトナム家庭料理』)でした。誰かひとりのつてで取材先を選ぶと偏りが出ることは、社会調査を学んでいてよくわかっていたので、取材先探しから自分でやりました。不見転(みずてん)で市場に行って、まず人の買いものを観察するんです。で、ピンときた人をつかまえて、取材を頼みこむ。そんなふうにしてタイ、韓国、ベトナムの全土を歩きながら何度も通って取材を続けました。とにかく器の選び方から盛りつけ方、台所の様子など、ひとつも見逃さないつもりで。もうね、そこから見えるものの多さに圧倒されたし、すごく刺激的だった。
高橋 あのシリーズ、私もわくわくしながら読んだのを覚えています。私はスタイリストとして料理に関わってきたので、地域というより特定の個人とのお付き合いということになるんですが、これまでたくさんの料理家の方たちとお仕事させていただいて、なにが楽しいって、やっぱり料理の向こうに料理人その人が見えることなんですよね。おいしいものを作る人はおいしいものを作るだけの「なにか」が絶対にある。どうやったら写真の中にその人らしさを出せるか、それを考えるのがスタイリングという仕事ですが、ただ献立が書かれただけの沢村貞子さんの日記だって、じっと読んでいると、この料理はこういう器に盛っていただろうなとか、テーブルにはこざっぱりした布を敷いただろうなとか、見えてくるものってすごくあるんです。
平松 スタイリストというのは一言でいえば表現者ですよね。対象について考え、理解し、解釈した結果、ある客観性なり作品性なりがそこに生まれる。ただ、さまざまな解釈を提示できる文章と違って、スタイリングはテーブルから器、カトラリーに至るまでひとつひとつ限定して視覚化するわけですから、誤魔化しのきかない仕事です。
高橋 今回の沢村さんの仕事も、ドキュメンタリーではないところで、どうやって沢村さんらしさを出していくかということをいろいろ考えました。もちろんそれは私の理解する沢村貞子像であって、実際は違ったかもしれない。ただ、本当に相手のことを考えて作られた料理だったということは、形にしてみてよくわかりました。一方、「献立日記」全部を読み込む中で、家庭的な雰囲気というのがあまり感じられないのが不思議だなとも思っていたんです。内容は家庭のお総菜なんだけれど、ぴしっとしすぎているというか、狂いがなさすぎるというか。そのわけが平松さんの沢村貞子論を読んで、すごく腑に落ちました。
平松 沢村さんの場合、料理より以前に、夫婦の生活という守りたいもの、守らなきゃいけないものが先にあって、料理がそれを支えていた、というのが私の理解でした。ご存じのように沢村さんとご主人の大橋さんは家庭をなげうって一緒になったわけですが、この関係が崩れたら自分たちを受け容れてくれるところはどこにもないと覚悟していらしたと思うんです。夫婦関係もふくめてつねに崖っぷちという緊張感が「献立日記」には表れている。
高橋 単なる食べ物の記録なのに、そこにその人の人生がぜんぶある。
平松 いい料理の本って、人生を語らずしてちゃんと人生が語られているものですよね。声高に自分の考え方とか、主義主張を言わずとも、色濃くその人が表れている。
高橋 今回の沢村さんの本では、私は沢村さんのシビアなところまでは出さなくていいかなと思って、最初に『わたしの献立日記』を読んだときの印象のままでいくことにしたんですけれど、そのときどきによって読み方が変わってくるのっておもしろいですよね。
平松 いろいろな読み方、使い方ができるのも、料理の本のいいところだと思います。そこにその人の人生を読みとることもできるけれど、もっと気軽な台所のヒント集とかレシピ集としても読める。料理の本って、日常の緊張をふっと解いてくれて、自分に寄り添うような、そんなくり返し読めるものがひとり3冊あればいいんじゃないかな。料理の本には人がそのまま出るぶん、相性がものすごくあるので、自分にとって大切な料理の本ってなんだろうと考えることは、自分ってなんだろうと考えることとちょっと似ているような気がします。
いま、今回の沢村さんのご本について、シビアなところまでは出さなくていいと思ったっておっしゃいましたけれど、同感ですね。料理をスタイリングするということは、本の実用性も満たしつつ、さらにその人らしさを加味するということですから、解釈の出し過ぎは本末転倒を招く。それよりも今度の『沢村貞子の献立日記』を見ていると、器にしても料理にしても、関わったみなさんが、沢村さんだったらどうするだろうって、沢村さんに近づこうとする気配をすごく感じます。以前、沢村さんのマネージャーを長年つとめていた方がしきりとおっしゃっていたのは、沢村さん、ぜんぜん外食をしない人だったのにものすごく盛りつけが美しいのよ、驚くほどでしたって。その佇まいが『沢村貞子の献立日記』の写真にはちゃんとある。
高橋 そう言ってもらえると嬉しいです。最近、自分のスタイリングが、意図するところとは別のかたちで読者に伝わっていたんじゃないかと思うことがよくあって、つまり、こういう器がほしい、こんなお鍋がほしいという情報だけが強烈な印象を残してしまったんじゃないかという反省がずっとあったんです。
平松 それは料理写真の宿命みたいなものですよね。明治に出た村井弦斎の『食道楽』もそうですが、料理にまつわる本って時代の要請をダイレクトに反映するものだと思うんです。1980年代にはアメリカでマーサ・スチュワートが料理と暮らしが密接に結びついていることを世の女性たちに知らしめ、趣味や嗜好に市民権を与えた。日本でも?90年代頃から、どっと料理関連の本が出るようになりましたよね。とくに写真には圧倒的な情報力と訴求力がありますから、それが予期せぬところで影響力をもってしまうのは、ある意味しかたのないことかもしれません。
高橋 でも、それだけしかないような安易な料理本もたくさん出ましたよね。自分はそうありたくないと思いつつも、本当に自分が作ったこの本で料理をしてくれるんだろうかという疑問が心の隅に湧いてくることもあって、それで、明治から1980年くらいまでの古い料理本をよく見るようになったんです。それまではこんな白黒写真で料理の何が伝わるの? って思っていたんだけれど、読んでみると、いやいやこれは伝わらないどころの話じゃないよと。特別凝ったことをしているわけでもないし、親切なわけでもないんだけれど、文章が魅力的だったり、説明がわかりやすかったりして、なにより作ってみたいと思わせるなにかがある。それが今度出る『私の好きな料理の本』につながるわけですけれど。
平松 一足先に読ませていただきましたが、厳しい問いかけをしているな、と思いました。好きだといっているその本が、自分の仕事の正反対で文字だけだったりするわけでしょう。それはつまり、自分の仕事って何? という問いかけですよね。この本の中で高橋さんはスタイリングという仕事の内容や範疇をずっと考えている。極端な話、自分の仕事っていらないんじゃないの、と考えを突き詰めることでもあるなと。
高橋 ははは。でも、事実スタイリストが要らない本もあるんですよね。そもそも写真の必要性がないものもあるし、また、自分がしゃしゃり出て行くまでもなく、スタイルの確立した料理家さんもいますし。そういうときは、お話をいただいても「いや、私はいらないでしょう」とちゃんと言います。
平松 高橋さんは、ご自身がスタイリストとして入ることで、どんな効果を生むと?
高橋 そうですね、1枚1枚の写真がどうというよりも、1冊のビジュアルの流れがよくなればいいな、とは思っています。自分がページ全体を見渡す目になるというか。あとは環境作りですね。つまり自分が用意した器に料理家が触発されて美味しい料理が生まれ、それに触発されたカメラマンが勢いのある写真を撮る、そういういい連鎖を現場に作れたらなと。器は単なるツールであって、たとえばカメラマンが目の前の一皿にぐっと惹かれて、用意した器も布もぜんぜん写っていないなんてこともあります。でもそれでまったくかまわない。現実に写真に写っているかいないかは、じつはスタイリストの仕事の本質的なことではないんですよね。
平松 たしかにそう。30年近くスタイリストという仕事に取り組んできたからこその実感ですね。
高橋 まあ、自分の仕事を指してそこに写っている器や布それ自体に意味はないのだとか、巷にあふれる料理本を見て、料理の本を甘く見るなよとか、ほんとはそんな説教臭いこと言わなくてもいいんだろうけれど、いままでやりっ放し、言いっぱなしだったことに、そろそろ責任をもって応えていくときが来たんじゃないかなという気もしていて。
平松 お互い残された時間を意識するようなしないような、微妙な年齢になりましたからね。これはやっておかなきゃと本能が知らせるものもあるというか。でも、私、やりたいことの本質は大学生の頃から変わってないんですよ。ひとつの食卓からあまりにもたくさんのことが見えるということへの興味は、まったく変わっていないんです。
高橋 私もやってもやってもやり尽くすことがないなというのが最近の実感。いま、以前作った本をまた同じスタッフで作りなおそうという企画がいくつかあって、それがすごく嬉しいんです。ともに成長できる仲間がいるというのは幸せなことですよね。平松さんともこれからも一緒に歩めるように、恥ずかしくない仕事をしたいと思います。