仏教の現代的意義とは/『知的唯仏論』

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 父と母の存在が、子供の人生に負債となって貼りついている人生とはいかなるものなのだろうか。
 父は「コキュ」の汚名を背負い、虚無僧姿で全国を放浪、時には発狂し、戦時下に餓死するダダイスト辻潤。母はアナーキスト大杉栄のもとに奔り、甘粕事件で虐殺される「新しい女」伊藤野枝。戦前の価値観からすれば、「非国民」極わまれりの二人ではないか。
 親があっても子は育つ、にしても、よくぞ育った、と褒めてやりたくなる人生である。
 辻まことは、戦後、山の画文家として一部で知られるが、六十二歳で自死したあとに、むしろ評価がたかまった。伝記がいくつも書かれた。没後二十五年にして全集が出版されている。その中で、甘粕事件のことにはほとんど触れていない。辻潤のことは少しだけ書き残した。
 辻父子の「自由」を思い続けた生涯を追う著者は、アメリカ在住の辻まことの娘に取材して、父の言葉を引き出している。「よく彼は、なにかあるたびに、『辻潤だったらこうしたな』とか『ああいうふうにするだろう』って、ことをいいましたよね」。
 まことは顔立ちは母親似だったが、影響は父から強く受けていた。
「辻まこと」という名前が私の印象に残ったのは、辛口コラムニスト山本夏彦の自伝的長編『無想庵物語』によってである。そこでは若き日の夏彦の恋敵として辻まことが颯爽と現れる。パリ育ちの奔放な美少女、売り出し中の映画女優でもある武林イヴォンヌ(彼女もまたコキュの父とスキャンダラスな母を持つ)は、夏彦をふって、まことと結婚する。一文なしのはずなのに、まことはギターを弾き、山登りを楽しむモダンボーイである。

『無想庵物語』の口絵には、銀座の街を闊歩する辻夫妻のスナップが載っている。その隣のカットは、目いっぱいダンディに身を固めて写真館でポーズをとる夏彦がひとり写っている。とんだ道化役を自分に割りふっている山本夏彦の茶目っ気が、なんともおかしかった。
 辛辣な筆致では、実は辻まことも、山本夏彦に負けていない。辻の出世作『虫類図譜』の短文とカトゥーンは、この世の人間たちの生態を虫に見立て、突き放して描いている。ここには父が愛読した『徒然草』の反響がないだろうか。
 辻まことは父の書棚の本を乱読する子供だった。父子が珍しく一緒に暮らしたパリでの一年間、父も子も、中里介山の思想小説『大菩薩峠』に耽溺している。
 日本での生活では、尾崎士郎ら父の友人たちが夜昼かまわずやってきては酒盛りである。家賃滞納で追い出されれば、今度は知人の部屋に転がり込んで居候を決めこむ。「社会からこぼれ落ちることで、支配を拒んだ。それが、辻潤の反逆なのであった。ただ、その反逆は退廃と紙一重でもあった」と著者は書いている。
 辻まことが山に目覚めるのは、父の友人の導きだった。この友人は海軍予備中佐でアナーキストの飯森正芳といい、中学時代の二年間を、静岡の飯森家で厄介になっている。飯森は『坂の上の雲』の主人公、あの秋山真之を大本教に引っ張り込んだという曲者である。
 山は、辻まことにとってなんだったのか。彫刻家である甥っ子の言葉に著者はうなずく。「下界の“辻まこと”と離れたかった」「本当に正直になれるところは、山だけだったと思うんだ」。
 支那事変が始まった年、まことは山での金鉱探しに熱中する。なんとも反時代的な事業である。その相棒が生涯の友となる竹久不二彦(竹久夢二の息子)である。辻まことの長女を養女として引き取り、自分の娘として育てる。この無名に徹した無欲な人物が、この本の中ではかえってさわやかな印象を残す。
 いまは南米に住む竹久野生は、実父を父とは呼ばない。「父の知り合いの『辻さん』」である。「父(不二彦)はすごく夢二から愛された。じゃ辻潤が、まことを愛さなかったのかといえば、そうじゃないと思う。けれども、愛情の表現がまったくちがっていた」「愛され方って大事でしょ」。
 辻まことはよかれあしかれ、父の通行圏の中で育っていった。思想と文学と酒を媒介にして、ゆるやかに結ばれた知識人のネットワークは、息苦しい時代に残された数少ない「自由」の避難所として機能したのだろう。
 戦後の辻まことの仕事も、父との人脈が重要な役割を果たす。草野心平との出会いは、辻潤の書棚にあった尾形亀之助の詩集がとりもった。心平が探していた限定七十部の詩集は、まことが北支の戦地でも肌身離さず持ち歩き、日本に持ち帰ったまさにその本だった。
 まことのその兵隊生活の回想記「山賊の話」はすばらしい。危険な任務に自ら志願し、部隊を離れる理由がいい。「軍隊らしい団体生活は、なんとしてもいやだった。小人数で流動的な不規則な生活には、まだしも自由な気配があるからだった」。そこには二等兵が思わず口笛を吹くという「自由」があった。
 辻潤は敗戦を知ることなく、昭和十九年に窮死する。死の前後の次の一行に目が留まった。「小田原の支援者、山内我乱洞(がらんどう)宅に寄寓」。この人物は安吾の酒友では。半藤一利の『坂口安吾と太平洋戦争』に出ていたガランドウではないか。
 日米開戦の日、安吾はガランドウと酒を飲む。開戦の話は一切出ない。この牧野信一の友だったという町のペンキ屋が辻潤を快く受け入れた一人であることを知り、「自由」が市井の中にも根強く息づいていたことを確認する思いだった。

[評者]稲垣真澄(評論家)

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