NHKが報道した鳥越俊太郎のデタラメ家系図 “ホンモノ”子孫が憤りを明かす

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ジャーナリストの鳥越俊太郎氏

 NHKの「ファミリーヒストリー」といえば、著名人の父母や先祖を本人に代わって取材する人気ドキュメンタリーである。この番組でジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76)を取上げたのは昨年7月。ところが、そこで紹介された家系図はデタラメだと言う人が現れたのだ。

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 人間とは、意外な話であればあるほど、それを知った時に驚き、そして感動するものである。

■「昔から権力側につかないという気持ちがあったんだな」

 NHKの人気番組「ファミリーヒストリー」も、〈著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、「アイデンティティ」や「家族の絆」を見つめる番組。驚きあり、感動ありのドキュメント〉(番組HP)と紹介するくらいだから、よほど取材に自信があるに違いない。

 昨年7月10日の放送では、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が取上げられた。主に俊太郎氏の父親、俊雄氏の人生に焦点を当てたものだったが、番組の冒頭では鳥越家の祖先について初めて明かされたのだ。

 俊太郎氏の郷里は福岡県うきは市吉井町で、実家は鳥越製粉という製粉会社である。鳥越製粉三代目社長は繁喜氏、弟として支えたのが俊雄氏だ。

 番組は、まず故・繁喜氏の自宅を訪ねる。そこで鳥越家の親戚という鳥越市治氏が一枚の家系図をカメラの前に差し出す。すると、〈家系図に記されたもっとも古い祖先は、戦国時代を生きた人物。名前は興膳〉というナレーションが入るのだ。

 興膳は、戦国大名・大友宗麟の家臣。豊臣秀吉が進めた九州平定で手柄を上げ、28の村を統治する大庄屋に抜擢されたという。ところが関ヶ原の戦いで豊臣方に付いたため状況は一転し、興膳と鳥越一族は、地元の耳納(みのう)連山の山奥に流され、不遇の時代を迎える。そして、興膳の時代から200年後に、俊太郎氏の曾祖父が鳥越製粉の基礎を築いた、と紹介されるのであった。

 これを知った俊太郎氏は、満面の笑みを浮かべ、

「凄いな。戦国時代まで遡った。しかも関ヶ原で敗れた。昔から権力側に付かないという気持ちがあったんだな」

 と、興膳と自らのジャーナリストとしての姿勢を重ね合わせるように興奮気味に語った。何だか出来すぎという気もするが、とにかく番組の中で最も俊太郎氏が喜んだシーンだった。恐らく視聴者も、ここで膝を打ったのではなかろうか。

■「興膳はうちの先祖」

 だが、この報道に真っ向から異を唱える人が現れた。うきは市に住む鳥越家18代当主、鳥越光氏(78)である。光氏によれば、

「昔、近所に住んでいた俊太郎が取上げられるというので、番組を見ていました。すると、いきなり家系図が出てきて先祖は興膳だと言いよる。いやいや興膳は、うちの先祖ですよ。そこで翌日、うちとしては鳥越市治さんに『昨日の放送は何ですか』と抗議しました。しかし、要領を得なかったので、7月12日に私の姉がNHKに電話し、13日夕方にNHKエンタープライズのプロデューサーから電話があり、事情を説明しました」

 光氏を当主とする鳥越家本家は、興膳を先祖とする大地主で、藍染、酒造事業でも成功。幕末には大富豪に成長した。光氏の先々代は貴族院議員を4期務めた鳥越貞敏氏である。光氏の自宅には、大隈重信や伊藤博文から送られた手紙が保管されている。明治時代に建てられたという自宅も、1200坪程あるという広大な敷地の中にある。光氏が続ける。

「7月17日午後、エンタープライズのプロデューサーの男性と制作会社の女性ディレクターがこちらにお見えになり、話を聞いていただきました。興膳は、うちの先祖であって、俊太郎の家は全く関係ないと。うちの家系図も見せると、それを熱心に書き写していました。彼らは地元の郷土史家の名前を出し、その人にお墨付きをもらったので鳥越市治さんから見せられた家系図を放送した、というようなことを言ってました。私は後からその郷土史家にも聞いたが、彼は『何も知らん』と言うし、一体どうなっているのか。最初からこちらに取材に来れば、こんなことにはならなかったはずですよ」

 光氏の自宅にある鳥越家本家の家系図は、じつに詳細である。光氏から先祖の興膳まで正確に遡ることができる。それに比べ、番組中で紹介された鳥越家の家系図は、非常に簡素なものである。加えて、そこには鳥越家本家の家系図も俊太郎家の横に書き込まれているが、肝心の興膳とは全く繋がっていないのだ。

■「再放送はしません」

 光氏に二つの鳥越家の関係について聞くと、

「元々、俊太郎の家は、江戸の末期くらいから米を脱穀する仕事をやっていたようです。その後、俊太郎の曾祖父がうちの斜め向かいに引っ越してきてね。50坪の場所で米を量り売りする米穀商店を始めたのです。こちらは、大地主で昭和の農地改革まで年4000から7000俵もの米が上納米として入ってきた。それをいくつかの米屋に卸していたわけだが、そのうちの一軒が俊太郎の曾祖父が始めた米穀商店だったと聞いています。偶然、姓が同じなだけで、俊太郎の家とうちは全く関係ありません」

 光氏は俊太郎氏のこともよく覚えているという。

「三代目の社長の繁喜さんがうちの斜め向かいの自宅から引っ越すと、代わりに弟の俊雄さん一家が越してきた。息子の俊太郎は当時、幼稚園くらいで、メンコやコマ回しなどをして、よく一緒に遊んだものです」

 話をNHKとの話し合いに戻そう。

「17日は3~4時間話し合いましたが、結局結論は出ず、その日は東京に帰られました。ただ、話をするうちに段々と旗色が悪いと思ったのか、帰り際には『穏便にしましょう。これで終わらせましょう』と言われました。ファミリーヒストリーは通常、再放送することになっています。ところが、7月27日か28日にプロデューサーから電話があり『再放送はしません』と言われたのです」(同)

■再度の抗議も…

 この時、NHKからは特に謝罪はなかったが、光氏らは一旦矛を収めたという。しかし、これだけでは問題は解決しなかった。語るのは、光氏の姉、宮崎真佐子さん(80)である。

「今年2月、朝日新聞に俊太郎さんが自分の半生について語ったインタビュー記事が掲載されました。その中で性懲りもなく、〈鳥越一族の家系図には鳥越興膳という人が記されていて、地元の歴史書によると、戦国武将の大友宗麟の家臣だったそうです〉と、先祖について発言していました。NHKが俊太郎さんにこちらの抗議内容を伝えていない証拠です。NHKには再び抗議の電話をし、プロデューサー宛に手紙も書きましたが、なしの礫(つぶて)です」

 信じ難いことに、無視やだんまりを決め込んだという。

「天下のNHKさんともあろうものが、こんな態度で良いのでしょうか」(同)

「特集 『デタラメ家系図』だったNHKの『鳥越俊太郎』ファミリーヒストリー」より

週刊新潮 2016年5月26日号掲載

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