水木しげる×梅原猛「若者が哲学にのめり込んだのは死ぬ前に悟りを開きたかったから」戦中派の二人が当時の若者を語る
漫画家の水木しげるさんが20歳の頃に書いた「水木しげる出征前手記」が文芸誌「新潮」8月号に掲載され話題となっている。手記の中で出征前の不安と画業に対する思いを吐露していた水木さん。戦争を前にした若者の思いと、哲学や宗教、道徳や文学の力でなんとかそれを乗り越えようとする姿が涙を誘い、戦後70年を迎えた日本で水木さんの戦争体験にも注目が集まっている。
またメジャーデビュー50周年を記念し、水木さんの人生を振り返る書籍も出版される。新潮社からは『水木しげる 鬼太郎、戦争、そして人生』が、小学館からは『わたしの日々 (ビッグコミックススペシャル)』がどちらも7月の終わりに発売される。『わたしの日々』はコミック作品。自らの絵によって巨匠の人生が物語られている。『水木しげる 鬼太郎、戦争、そして人生』では幅広い活動をしてきた水木さんの、人生と作品の両面が分かるQ&A解説や、画学生時代のヌードデッサンなど貴重な資料が掲載されている。また梅原猛さんとの対談や呉智英さんの解説により、こちらは水木さんの巨大な全体像を外から見て把握できる一冊となっている。
漫画家の水木しげるさん
同書の中で水木さんは、同じ戦中世代の哲学者・梅原猛さんとの対談で、手記を書いた20歳頃のことをこう回想している。
「私の若い頃は、だいたい20歳で戦争に行くでしょう。死ぬでしょう。そのために18、19の頃に出来るだけ本を読んだんです。哲学書とかをやたらに。戦争行って死ぬ前にと思って、いろいろ読んでいて、ゲーテに当たったんです。考えていることが多少、私に似ているということから、ゲーテばっかり読んでいた」
さらに、当時ニーチェを耽読したという梅原さんに対し、
「私もニーチェは読みました。あの頃はニーチェが大いに流行っていたんじゃないですか、若い者の間でね」
とも語っている。梅原さんが哲学の道に入った理由も
「そのうち赤紙が来て、軍隊に行って死ななきゃならない、死ぬ前に悟りを開きたい」
と明かされた。水木さんも
「若い者を哲学に押しやったのは、兵隊に行って死ななきゃならぬということですよねぇ。今は20歳ぐらいで死ぬなんて、考えられないでしょう。」
と当時の若者の苦悩を語った。
二人は戦後の貧乏体験や、水木さんの出身地である島根の古代出雲王朝への興味でも意気投合し、梅原さんは「久しぶりに昔の恋人に会ったようだった」と語り、対談は大いに盛り上がった。
『水木しげる 鬼太郎、戦争、そして人生』には、50年前の「週刊少年マガジン」掲載「墓場の鬼太郎 夜叉」と、戦記物の集大成『総員玉砕せよ!』より「小指」と題されたエピソードが、原画で丸ごと特別掲載されている。また画学生時代に描かれた『電車の中で見たる女百態』と称した人物スケッチなど、後に発揮されるユーモアの片りんをのぞかせた貴重な資料も満載だ。
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