「浅田真央」復帰を邪魔する「実父」女性暴行逮捕の被害届

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「ハーフハーフ」発言でファンをやきもきさせた浅田真央(24)が、待望の現役復帰を表明したのは5月18日。7月には久々の滑りを披露し、再始動を印象づけたが、実は復帰会見の直後、実父(56)が傷害罪で逮捕されていたのだ。真央ちゃんの悲しむまいことか。

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 ベージュの大人っぽい膝丈のワンピースを身にまとい、都内の会見場に現れた浅田真央が、吹っ切れたような晴れ晴れしい笑顔で現役続行を表明したのは、5月18日のことだった。

[写真1]5月18日の復帰会見。

「ソチ五輪のショートプログラムで転倒し、燃え尽き症候群のようになって休養を選択した真央ちゃんでしたが、いまの日本は、宮原知子(17)や本郷理華(18)ら伸び盛りの選手も、全盛期の真央ちゃんほどの実力はない。自分がいまも日本代表として十分に通用すると考えて、復帰を決意したはずです。1月には佐藤信夫コーチに復帰の意思を伝え、会見の1カ月ぐらい前から、休養前と変わらない練習量をこなしています」

 そう語るスポーツ紙記者によれば、当面の目標は全日本選手権での表彰台。すでに7月22日、札幌市で行われたアイスショーでは、かつてと遜色ない演技を見せた。その背景には、不屈の努力と、家族をふくむ周囲の支えがあることは言うまでもない。真央自身、家族の支えを信じていればこそ、会見で晴れやかな表情を見せたのではないか。

 ところが、くだんの会見の直後に、彼女にとって悲しむほかない「事件」が起きていたのである。

 2011年12月、母の匡子(きょうこ)さん(享年48)が亡くなってから、名古屋市内の真央の実家は父の敏治氏が守っていたが、会見から3日後の5月21日、その交際相手であった山中嘉子さん(58)=仮名=は、そこを訪ねていた。

「5月20日が私の誕生日で、その日の夕方、トシから電話で“明日来る? ちょうど真央も月末までいないしさ”と言われました」

 真央の父親を「トシ」と呼ぶ嘉子さんは、50代というのがウソのような、いわゆる“美魔女”だが、彼女によれば、敏治氏は真央に、彼女との交際を「かたくなに隠して」いたという。

「姉の舞さんは家にまったく帰りませんが、真央さんは用事があると戻るので、彼は彼女が海外や地方にいるときに私を呼ぶことが多かった。翌21日、私は高速バスで名古屋に行き、焼肉屋でお祝いをしてもらってから家に行きました」

 真央が知らない実家での経緯について、嘉子さんの話がつづく。

「3匹の犬の世話をしてから明け方までイチャイチャし、翌22日は、真央さんが引っ越し先の横浜に持っていかなかった荷物でごった返す家の中を、一緒に掃除しました。23時ごろトシの携帯が光ったので、彼に手渡しました。ただ、遅い時間の着信なので気になって、後ろから画面を覗くと、ある女性から。“またその人から?”と言うと、トシは“俺の携帯を触るなって言っただろ”と言ってきて、少しの問答の後、彼は立ち上がり、振りかぶった平手を私の頭上に思いきり叩きつけたんです。痛くて、私が“何すんのよ!”と言うと、“うるせえんだよ!”と、今度は私の脇腹からお腹のあたりを2、3回突き蹴りしてきました」

 トリプルアクセルを得意とするアスリートの父親だけあって、威力は抜群だそう。しかも身長178センチで手足が長いから、152センチの嘉子さんはひとたまりもない。嘉子さんは洗面所に逃げ込んだそうだが、

「戻って“何かあるからここまで怒るんでしょ?”と問うと、その言葉で彼は完全にキレて、巻き舌で“うるせえなあ、そんなことはどうでもいいんだよ!”と言いながら立ち上がりました。私は首をつかまれて突き飛ばされ、よろけたところを髪を引っ張られて頭を振り回され、顔や頭や腹を足で何度も蹴られ、再び髪を持って引きずり回された後、ソファの横に叩きつけられ、上から蹴られました。このままでは命が危ないと思って、隙を見てまた洗面所に逃げ、23時16分に110番通報し、警察の指示に従って、部屋着のまま外に出たんです」

 しばらくして到着したふたりの警官に、「息を吸うだけで脇とお腹が痛い」と訴えた嘉子さんは、ひとりに付き添われて病院に緊急搬送され、検査の後、名東(めいとう)警察署に赴いて供述調書を作成したという。

[写真2]嘉子さんの診断書。「頭部打撲、頸部擦過傷、右胸部打撲、右季肋部打撲、腰背部打撲」の文字が並ぶ。

 彼女の話をつづける。

「トシに話を聞いた警官から“山中さんは精神障害があるんですか”と聞かれました。“浅田が、彼女は精神異常者だから信じるなと言っている”と。もちろん否定しました。彼は“俺も彼女から殴られている”と言ったとか。その後、警察からの電話を無視しつづけたトシは、23日午後、勤務先の病院で手錠をかけられたそうです」

■公然わいせつ容疑で逮捕

 ところで、敏治氏が嘉子さんと知り合ったのは、亡くなった匡子さんと出会うより以前だったという。

「私が21歳、トシが20歳だった1978年、大阪ミナミのホストクラブで客とホストとして出会い、すぐに意気投合して付き合うようになりました。ただ、彼は1年もせずに名古屋に戻ってしまいましたが、その後も友達としては連絡を取り合っていたんです」

 そう嘉子さんは語るが、名古屋での敏治氏の羽振りのよさは、なかなかのものだったようだ。1年先輩のホストが述懐するには、

「浅田は暴走族で鳴らしたあと、18歳のころホストを始めましたが、ルックスはいいし性格は温厚、歌もうまいので、むちゃくちゃ女にモテたね。3、4軒を渡り歩き、最初から若手ナンバーワンで、27歳くらいで全体のナンバーワンになった。そして、30歳前に独立して、カーネギーという店を出したんだ。生バンドが入って、ホストはジルバやルンバを踊れないとダメという店だった」

 別のホストクラブ関係者が話を継いで言う。

「当時、浅田さんは水商売の若い男から見たら雲の上の存在。カーネギーを出すときも、すごく話題になったし、開店後も従業員にとても慕われてた。真央ちゃんが小さいころ、浅田さんと従業員がみんなでスケートの応援に行ったけど、全員ベロベロに酔って酒臭く、見た目も派手だから、真央ちゃんに嫌がられたって聞きました。また、ほかにも風俗店を何店舗か経営していましたね」

 その結果、たとえば97年には、ブラックキャットというランジェリーパブをめぐって、公然わいせつ容疑で逮捕されている。

 時系列は多少前後するが、嘉子さんの話に戻ると、

「トシは、ホストクラブに客としてきていた匡子さんとできちゃった結婚し、舞さんが生まれた。匡子さんは岐阜県で接客業をしていて、彼は“まさか、結婚するつもりはなかった”と言っていた。その後の結婚生活は最初から喧嘩の連続だったようです」

 そして、真央が生まれて8カ月くらいすると、

「匡子さんから突然、“あなたの面倒は見られないから、ほかの女(ひと)に見てもらってくれる?”と言われ、彼はほかの女のもとで暮らしますが、昼間は家に戻ったりしていたそうです。そのとき娘たちがいると、匡子さんは彼に喧嘩を吹っかけてきたらしく、トシは“チビたちに俺が悪いって印象づけようとしている”と嘆いていました。また、トシと女の人との住居に、匡子さんが毎月、スケート費用を含めた養育費を取りに来て、トシはカーネギーの売上げをすっかり渡し、自分の生活費は同居人に負担してもらっていたそうです」

 そうこうするうちに、カーネギーの経営も傾き、

「10年ほど前、トシは店をたたみました。その後はラーメン店をやろうと修業して挫折。ところで、匡子さんとは3回ほど、離婚について真剣に話しあったそうですが、最後は彼女が病気になったため、立ち消えになったとか。匡子さんは肝臓の移植が必要となり、トシは“あなたがこの先、生きていくのに必要なお金はじゅうぶんに残してある”という言葉を信じ、自分の肝臓を提供し、亡くなる前に実家に戻りましたが、生命保険金もすべて2人の娘に渡り、トシの取り分はなかったというんです」

 近所の住人が、

「真央ちゃんが大須のスケートリンクで練習しているときなど、お父さんが見にくることはあっても、いつもひとり。4人一緒ということはなかったですね」

 と不思議がる背景に、複雑な事情があったようだ。

■以前にも3回の暴力

 さて、嘉子さんによれば、敏治氏と再会したのは、匡子さんが亡くなった翌12年の8月だったという。

「私は大阪でスナックを開こうとしていて、匡子さんが亡くなって半年ほどで心配でもあったので、“元気にしてる?”と電話したら、“写メ送ってよ”と言われました。長い間、おたがいの顔は見ていなかったので送ると、〈変わら無いね〉〈今流行りの美魔女だね〉などと返信がありました。電話でも“久しぶりに会いたい”と言われ、8月7日、彼が本当に大阪に来て、“前のようにお付き合いさせてもらいたい”と交際を申し込まれたんです」

 それから関係は、急速に深まっていく。

「トシの求めに応じて、彼を私の娘に引き合わせましたし、私が“このままずっと続いたら結婚という形になるの?”と聞くと、“当然だろ”と言ってくれました。そのころトシは、平日は毎日、真央さんの練習の送迎をしていました。朝7時半ごろ、車で30分ほどの中京大のリンクに送り、しばらく待機して、11時45分には昼ご飯を食べに連れて行き、13時ごろ再び中京大に送って、夕方、また迎えに行ってご飯を食べさせるんです。だから、彼は月に2回ほど土曜の夜に大阪に来て、日曜夜に戻っていました。そのときは犬のエアロ、小町、ティアラはペットホテルに預けていましたね」

 近所の人も、

「休養する前は、お父さんが真央ちゃんを送っているのをよく見ました」

 と証言するが、そのころが、このカップルの蜜月のピークであった、と嘉子さんは言うのだ。

「舞さん、真央さん、トシの生活費や経費として、真央さんの個人事務所から50万円がトシに渡されていたのが、13年になって“真央は家を出るからパパはひとりでやってくれる?”と告げられ、月8万円に減らされてしまった。トシは“もう終わりだ”と嘆き、事実、新幹線代を出す余裕もなくなったので、私が高速バスで名古屋に行き、彼の家の近くのラブホテルですごすことが増えました」

 嘉子さんによれば、名古屋でデートする際、

「ホテルにいても、真央さんから“今から帰る”“スケート靴を持ってきて”などと連絡が入ると、トシは絶対に彼女のところに行かなきゃいけなかった。8万円の“月収”が奪われるのが怖くて、娘に一言も逆らえないんです」

 という不満があったそうだ。ついでに言えば、

「同じ理由で、真央さんへのファンレターに返信するポストカードの宛て名も全部、トシが書いていた。彼は“真央はわがままで、舞は遊びほうけている”と言っていました」

 だが、その後、もっと大きな支障が生じたという。

「そのころから私への暴言や暴力が増え、私の何気ない言葉に反応して怒鳴るようになった。でも、私が別れを切り出すと“二度としない。おまえのいない人生を考えるとゾッとする”などと謝るので、なかなか別れられませんでした」

 敏治氏が、さらに平静を失うことも起きたという。

「匡子さんに家を追い出されて一緒に暮らした女性のひとりから、お金の返還を求められたんです。トシは娘たちに頼んだようですが断られ、真央さんの個人事務所から300万円を借りた。ただし、働いてすぐ返してくれと言われ、弁護士に、今の勤務先の病院を紹介されたんです」

 近所の住人は、

「娘たちが稼いでいるのに、なぜ病院で働いているのかわからないですね」

 といぶかるが、そんな事情があったのだ。

 ところで、今回の逮捕劇の前に、嘉子さんが敏治氏から大きな暴力を振るわれたのは、3回だという。

「昨年3月ごろから彼の家に行くようになって、9月のこと、ソファに座っていると、食事に行くから“早く着替えろ”と言う。私もふざけて“トシも早く着替えろよ”と言うと、“男に向かってなんていうものの言い方をするんだ!”と激昂し、太ももを蹴られ、首をしめられ、頭を振り回されました。“警察に通報する”と私が言うと、“警察がきたって、お前に指一本触れていないと俺が言えば通るんだ”と言われ、悔しさを必死に抑えました」

■「娘とは一切関係ない」

 嘉子さんが今回は110番したのは、知人に相談して「次は警察を呼んだ方がいい」と忠告を受けたからだという。敏治氏が手錠をかけられた現場である名古屋市内の病院に聞くと、

「浅田さんは正社員で、月曜から金曜の午前9時から午後5時まで、人工透析をされる患者さんの車での送迎や、病院内の清掃をしてもらっていますが、まじめで人当たりもよく、患者さんの評判も上々です。ただ、たしかにその件で警察がきて、連れて行かれたとは聞いています」

 と返答した。

 最後に、逮捕後の敏治氏について、嘉子さんが警察から聞いたという話を。

「トシは、私に“一切触れていない”“自分も殴られた”と言い張って否認しつづけ、本来10日間までの勾留期限を、20日間に延長されてしまいました。ただ、傷害事件の場合、罪を全面的に認めれば略式起訴で済ませることもあるので、それを彼に伝えると、全面的に罪を認め、略式起訴による30万円の罰金刑が確定したとのことです。ところで名東警察署で供述調書をとっているとき、警察官が“あいつは以前も同じことで3回捕まっている”と話すのが聞こえ、“私で4回目ですか”と聞くと、“まあ、そうなりますわな”と言いました」

 ちなみに、これまでは敏治氏の暴言や暴力にも耐えてきたという嘉子さんだが、今は「絶対に許せない」と語る。それは、

「トシは私を精神異常者呼ばわりして、自分だけ助かろうとしたから」

 だそうだ。これに対して敏治氏は何と言うか。記者が声をかけると、「わかりません」「知りません」と繰り返した挙句、観念して、起こしたことは認めたが、

「何もお話しすることはありません。今回のことは娘とは一切関係のないことです。僕はこれまでメディアに出たことはなく、今回も僕のほうからお話しすることはありません」

 と、やわらかい物腰で語って、職場に向かった。

 だが、実の娘が、1年余りの空白ののち、待ち望まれてきた復帰を世間に告げたわずか4日後に、感情の赴くまま交際女性に暴行を働いたことの影響は、到底“やわらかい”ままでは収まるまい。気丈な真央ちゃんのこと、きっと苦難を乗り越えるだろうが、実父として償う道は、まだ始まったばかりである。

週刊新潮 2015年8月6日通巻3000号記念特大号掲載

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